さぁて、今年は9連休となったGWに暇を持て余すのももったいないので
千葉へ行ってきました


怒涛の地図力。。
千葉に行くのに、アクアラインを使わない古風な行き方を披露。。
その上、都心はえらい混み様・・・。しかも朝は遅刻と三拍子そろった初日。。

this is 雷門
ほーら、浅草観光完了

はとバスがリアルだったりしたけど、東京の道はよくわからん


ここが噂の現場。
途中、気になっていた駅『印旛日本医大駅』に寄り道

なんせ駅名が長いから不思議だったんだけど、駅周辺は何も無い


目的はコレでしょッ
まずは・・・第一の目的『銚子電鉄見学』
ジブリに出てきそうな小さなレトロ電車が現役です。
この801形は元伊予鉄道車で戦後すぐの昭和25年製というから驚き・・・

途中、ふじの名所に寄り道

白いふじもまたいいもんだ

日本初の国産レンガで造った灯台
銚子にきたら『ふじ』を見て行きなさいと言われ行ってみるとビックリ
土曜には藤祭りがあるらしく騒がしかったけれど感動。
続いて歴史ある犬吠埼灯台。ここは2度目だったり・・・笑

わりと大きめな黄色いレールバス
続いて『上総中野』(かずさなかの)駅に向かう。
ここは外房からやってくる『いすみ鉄道』と内房からやってくる『小港鉄道』
の交わる駅で房総半島のほぼ真ん中に位置する終着駅。
しかし駅前はほぼ廃墟な上、駅員はおろか委託のおばさんもいない。
これには深い理由が隠されていたりする。
実は昔、この路線は壮大なスケールで実行しようとされていた。
時は大正二年、当時の国鉄は房総横断路線として計画された。
場所は内房の五井から外房の安房小湊とまさにショートカットコース。
それを裏付けるのは、社名からもわかる。
社名こそ小湊鉄道だが始発は五井だし沿線上に小湊は無い上、肝心の
安房小湊は清澄山の南方にあるので関係が無い。
その後計画道理に着工し工事も半ばに差し掛かった頃、清澄山の山塊に捕まる。
この山越えにはトンネルが必要になることになった。
しかし当時の鉄道技術では莫大な予算がかかり、ただでさえ資金難だったのも重なり
計画は暗礁に乗り上げる。そこにそれを上回る惨事が襲う。
第一次世界大戦の勃発だ。これにより、鉄の高騰に加え資材の不足もあい重なって
清澄山の手前で力尽き、迂回ルートの資材も集まらず上総中野で夢破れる結果となった。
しかし、その後現在のように2社による横断ルートが出来上がった事で
先人たちの願いは伝わったのではないだろうか。。

そんな歴史を感じながら、キハ200を見ていると刹那さを感じます。。
さてさて、続いては久留里線


省エネ軽快気動車がエネルギッシュに走破します。
久留里線の歴史をひもとくと不思議な事実が見えてくる。
元々久留里線は千葉県各地の道路事情の悪さを改善するためにできた軽便鉄道が前身。
その後、国に無償譲渡され軽便のナローゲージから現在の狭軌に改軌されたのだが
そのとき交わされた文章に一つの疑問ができる。国鉄が発表した文章は
「千葉県木更津ヨリ久留里、大多喜ヲ経テ大原ニ至ル鉄道」
これによると千葉県木更津より久留里(軽便鉄道として開業済み)
大多喜から大原(元木原線、現いすみ鉄道として現在に至る)を繋げるとなる。
つまり、上記で出来なかった房総横断鉄道計画を復活させようとしたのだ。
しかし相変わらずの資金難に加え、資材不足によりあえなく断念。
結局地元の協力もあり、亀山まで延びたが他の鉄道とはつながることは無かった。
その後、各地の赤字路線が廃止&3セク化される中、今もJRでかんばっている
のは県下では久留里線だけ。これからも存続して欲しいものである。
というように今回は房総の鉄道史を調べて回ったわけなんだけど
昔の人の情熱ってのは凄いと思う。
他に千葉県が押し進めた軽便軌道には九十九里鉄道なんてのもあったが
廃止から40年ほどたっており、調べられなかった・・・。
こんどは調べてみようかなっなんって思う